シアワセノカタチ
窓の外には、閑散とした山々。
そこには森があり、湖があり、その中に紛れるように、ぽつりぽつりと人間の住む場所が建っている。
空はどこまでも澄み渡り、そして雲はどこまでも白く、冴えている。
別荘のベランダとしてもやや広いそこで、俺はチェアーに腰掛け、遠い場所を眺めていた。
「…どうしました?」
背中から、洗濯物を終えたらしき彼女の声。
まだ少し硬い、いかにもロボットといった感じの、そんな声で。
「…考え事」
「そうですか…」
再び沈黙が訪れる。
普段から会話が乏しいわけではない。
おそらく俺の考えていたことを理解したのだろう。
そう願うしかなかった。
「昼食の用意が整っています、ショウヘイさん」
彼女は俺のことを『ショウヘイ』と呼ぶ。
久しく、彼女以外の者からその名で呼ばれたことはない。
「…洗濯をしていたんじゃなかったのか?」
「すでに終えましたよ。先ほどまで昼食を作っていました。ショウヘイさんが、そうおっしゃられたので…」
「…ああ、そうか」
ひとつの事に目を向けすぎると、他のものが見えてこない。
ぼんやりしていた時に、そう言っていたようだ。
「…そうだったな」
深いため息を吐き、腰をあげる。
なんとなく爺臭い行為だとも思ったが、俺はまだそんな年ではない。
第一、ここには彼女――マルチしかいない。気にすることじゃない。
「ああ、今行くよ」
俺はマルチの後に続いて、ダイニングへと向かった。
もう半年にもなる、こんな生活は。
親のすねをかじり、それでも後百年はここでやっていけるだろう。
それほどまで、俺の父さんは凄かった。
そして、最低の男だった。
○
幼稚園からの教育一貫性。
『お坊ちゃま学校』と言われるようなところに、僕は通学していた。
友達はいない。
皆、なんの選択肢もなしにここに集まったから。
だから、自分以外の人に関わろうとしない。
「いずれお前は大物になる」
幅の長い車の中で、父さんがそのセリフを口にする。
そして、その後に続く言葉はいつも同じ。
「私のあとをついで、お前は頂点に立つんだ」
どこかピンとこない言葉。
意味は分からないが、そのセリフだけは頭の中に刷り込まれている。
「後継ぎとして、お前は立派に勉学に励んでくれ」
僕の乗る車が停まり、誰の言葉もなくドアが開く。
「…いってきます」
返ってくる言葉はない。
僕は車を降りて、校門をくぐった。
僕の後ろで、ドアの閉まる音がして、そして滑るように去っていった。
○
「ただいま」
「お帰りなさいませ、お坊ちゃま」
大勢の大人が出迎えてくれる。
そこに父さんはいないし、当然、母さんもいない。
母さんは僕が生まれて少しした頃に、この家から出て行ってしまったからだ。
当然、顔なんて覚えていない。
「……」
ずらっと並んだその中心を僕が歩き、そしてそれはひとつの部屋まで続いている。
そこで着替えを終えると、僕は付き添いの執事と共にダイニングへと向かう。
今日のデザートはメロンだった。その後にイチゴサンデーが出されたが、僕は要らないと言って、席を立った。
そして僕は自分の部屋へと向かう。
すでに家庭教師がドアの前にいた。
軽く会釈をして、そして執事はどこかへ去っていき、僕は家庭教師の先生と共に部屋の中に入った。
そんな生活がずっと続いていた。
そして、これからもずっと続くものと思っていた。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
聞き慣れない声に、僕は耳を疑った。
僕の部屋の中にいる、ひとりの女性。
この家の大人と同じような服装をしていたが、どこか違和感がある。
しばらくして、彼女の耳についたセンサーのようなものが、僕に不思議な感覚を与えていたのだと分かった。
「申し付け通り、部屋の片付けをすませておきました」
「…僕は頼んでない」
僕の部屋は、メイドさんはおろか、執事でさえも勝手に入ることは許されていない。
勝手に部屋に入ることは、僕のプライバシーを侵害するから、らしい。
難しいことはよく分からなかったが、それでも、どこか嫌な気分がした。
「ショウヘイ」
嫌な声。咄嗟にそう思った。
「…父さん」
父さんと顔を合わせるのは、朝食の時のみ。
ここ最近はそれすらもなくなり、ぽつぽつとした会話が三日に一回交わされるくらいだった。
「会社に行ったんじゃなかったの?」
「ちょっとお前に伝えたいことがあってな。今は代わりのものに任せている。それより――」
父さんが僕の部屋の中に目を向ける。
「HM-12、こっちへ来なさい」
「はい」
HM-12――そう呼ばれて、女性は頷いた。
薄暗い部屋の中ではよく分からなかったが、年齢的には女性と言うより、まだ女の子という感じがする。
「今日からお前の世話をするメイドロボットだ」
「よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げる彼女。
…どこか腑に落ちない。
「メイドロボ…?」
「ああ、そうだ。メイドロボットだ。これ一台で身の回りのことはほとんどまかなえる」
彼女がロボットだとは信じられなかった。
唯一、その耳のセンサーだけが、機械であることを思わせていた。
「HM-12、後でショウヘイに自己紹介しておきなさい。私には時間がない。もう行かなくてはいけないのでな」
「かしこまりました」
軽く一礼して、そして僕の方を向く。
「ご主人様、勉学の時間です。部屋に入りましょう」
「あ…うん」
彼女に連れられて、僕は部屋の中に入った。
後ろで扉の閉まる音がして、そこで家庭教師の先生が来ていないことに気付く。
「今日から私が家庭教師、及び執事等の代わりを勤めさせていただきます。何なりとお申し付けください」
僕の考えていることを見透かしてか、彼女が口を開く。
「では、始めましょう。テキストの56ページを開いてください」
「ちょ…ちょっと待って。まだ自己紹介がすんでないよ」
「…では、先に自己紹介をしましょうか」
心持ち背筋を伸ばし、両手を前に組む。
「私は来栖川重工製HMメイドロボシリーズ12型"Multi"と申します」
淡々とした口調で語られる言葉。
外見はそうでもないのに、その口調はどこか機械臭い気がした。
「えっと…立花ショウヘイです。よろしく…お願いします」
「ご主人様のことは、ご主人様のお父上より聞いております」
「あ…そう」
どこか釈然としない気持ちに、後頭部を掻く。
「他に何か訊いておきたい事はありませんか?」
「えっと…今は特に」
「そうですか、では――」
「あ、待って」
「…なんでしょうか?」
「えっと…どう呼べばいいの?」
「…と、申しますと?」
「だから…ほら、父さんは『HM-12』って呼んでたし、さっき自分のことを来栖川重工製…」
「『来栖川重工製HMメイドロボシリーズ12型"Multi"』です」
「そう、それ。だから、僕は君のことをどう呼べばいいのかなって…」
「ご主人様のお好きなようにお呼びください」
「好きなように…?」
「はい」
「好きなように…」
「……」
「……」
返答に詰まる。
「…研究室の方々からは――」
「…え?」
「私どもの開発された研究室の方々からは『マルチ』と呼ばれておりました」
「…そうなんだ」
マルチ…。
変な名前か、とも思う。
しかし、他に適当な名前が思いつかなかった。
「じゃあ、マルチさんって呼ぶことにする」
「敬称は要りません」
「…さん付けしないと、なんだか呼びにくいから」
「…そうですか」
「それと、僕のことは『ショウヘイ』でいいよ」
「…しかし、それは――」
「『ご主人様』より、名前で呼んでくれた方が嬉しい」
「…嬉しい、ですか?」
「うん」
「…かしこまりました、ショウヘイさん」
「…じゃあ、勉強、教えてよ」
「はい。では、テキストの56ページを――」
○
車に乗って、学校へと向かう。
今日からはマルチさんも送り迎えをしてくれる。
「ショウヘイさん、どうぞ」
「あ、うん…」
ドアを開き身を退けるマルチさんを横目に、車に乗り込む。
そして僕に続いてマルチさんが乗り込み、ドアが閉められた。
「いってらっしゃいませ」
開かれた窓の向こうから、数名のメイドさんと執事が会釈をする。
僕は軽く頷いて、それを見計らったように車が動き始めた。
手を触れずとも、運転席からの操作で窓が閉じられる。
「……」
気乗りしない僕の横で、マルチさんが目を閉じている。
際立った顔立ち。とてもロボットとは思えない。
「…どうされました?」
ふと目を開けると、ちらりと僕の方を向く。
「…ううん、なんでもない」
「そうですか…」
そうして、再び目を閉じる。
どこかいびつな感覚。
しかし、ひとりでいるよりは数段良い。
やがて、車は学校に到着する。
ひとりでにドアが開かれ、まずマルチさんが降り立つ。
「どうぞ」
マルチさんに続いて、僕も車から降りる。
「…いってきます」
「いってらっしゃいませ、ショウヘイさん」
「……」
どこか懐かしい感覚に、思わず振り返る。
「…どうなさいました?」
「…ううん、なんでもない。いってきます、マルチさん」
声が返ってきた。
それだけで、どことなく嬉しくなった。
○
「…どうしました、ショウヘイさん?」
「…あ、ううん、なんでもないよ」
ベッドに横になり、上から布団をかけられる。
マルチさんといるとなんだか安らぐ。
それが間違った感情だとは思わない。
おそらく父さんは、家を出て行ってしまった母さんの代わりとして、僕にマルチさんを与えたのだろう。
しかし、僕の生活に干渉してくる新しい存在を、僕はとても心地の良いものと思い始めていた。
気がつけば、マルチさんと二人でいる時間が多くなっていた。
例えば、本を読んでいる時。
「紅茶をお持ちしました」
ドアが開いて、マルチさんがトレイに乗せたカップを運んでくる。
そして、メイドさんなら立ち去っていく。
テーブルに置かれたそれに、言わずとも砂糖をスプーン一杯、そしてミルクが注がれる。
そこで執事なら立ち去っていく。
「いろいろな本を読まれるのですね」
「テレビがないから。それに、本を読むのが好きなんだ」
「今日はどんな本を読んでるんですか?」
「かなり短いよ、ストーリー。えっと、二匹の沢蟹が主人公の話。クラムボンっていうものの正体を探る…っていうのかな。まだ途中までしか読んでないから」
「クラムボン…ですか?」
「マルチさん、クラムボンって分かる?」
「私は…」
少しの間、動作が止まる。
考え込んでいる、といえばいいのだろうか。
「私のデータベースの中には、そのような単語は存在しませんが…」
「そうだろうね」
「すみません、お役に立てなくて…」
「あ、ううん。しょうがないよ。ほら、ここ。クラムボンっていうのは、作者の造った言葉で――」
例えば、夕食の時。
「……」
広いダイニングの中に、数十人は腰掛けられるであろう長いテーブルとたくさんの椅子。
その一角の部分に腰掛け、食事を摂る。
「…ごちそうさま」
皿の上に、ナイフとフォークを二つ重ねるようにして置く。
そこでメイドさんなら食器を下げる。
「ピーマン、残してますよ」
「食べたくない」
「そうですか…」
そこで、執事ならメイドさんを呼び、食器を下げさせる。
「ですが、嫌いな物も食べないと、栄養に偏りができてしまいますよ」
「でも、嫌いなんだよ」
「ピーマンのソテーという料理も存在します。きっと食わず嫌いですよ」
「……」
「ショウヘイさんは、今までピーマンを召し上がったことはありますか?」
「ある…と思う」
「一度食べられてみてはいかがでしょうか?」
「……」
ピーマンをフォークで串刺しにして、そのまま口に放り込む。
「…変な味」
だが、食べられないことはなかった。
例えば、通学の時。
例えば、夜眠る時。
例えば…。
例えば…。
例えば…。
…ありとあらゆる場面において、僕はマルチさんと共に行動していた。
初めて心から楽しいと思うことに触れる。それも何度も。
「…どうしました、ショウヘイさん?」
「…あ、ううん、なんでもないよ」
「そうですか…では、おやすみなさいませ」
「うん、おやすみ」
マルチさんは気持ち分礼をして、踵を返し、部屋を後にした。
「……」
布団にもぐりこみ、丸くなるようにして眠る。
夢にマルチさんが出てきてほしい。
二人でどこか遠くに遊びに行きたかった。
○
「…マルチは?」
珍しく、マルチではなくメイドさんが俺を起こしにきたのだ。
話によれば、離れの館で別の作業をしているらしい。
「…珍しいな」
ここ数年間、マルチの顔を見ない朝はなかった。
どこか腑に落ちなかったが、メイドさんが俺を起こしにくることになったのは突然の事だったらしく、時間に余裕がない。
結局、俺はマルチと会わぬまま、リムジンに乗り込み学校へと向かった。
授業中も、どこか気が気ではない。
ここまで落ち着かないものなのだろうか、たったマルチと顔を合わさなかっただけで。
まさか…。
湧き上がる感情を、俺は思い伏せた。
しかし、どこぞの本で読んだことがある。
その人に好意を寄せている。…つまりは、そんなところだろうか。
俺はひとり、首を横に振った。
そして俺は家に電話をかけ、早退するので車を寄越してくれと告げた。
帰宅してすぐ、マルチはどこかと執事に訊ねる。
すると、ショウヘイ様のお部屋にいる、という答えが返ってきた。
そして何か言葉を続けようとしていたが、俺は聞く耳持たず、服も着替えぬままに自分の部屋へと駆け込んだ。
「マルチっ…!」
ドアを開け、名前を呼ぶ。
「……」
その声に、部屋の中にいた人が振り返る。
それはマルチではなく、髪の長い女性。
傍に寄ってみて分かったが、三十路くらい…だろうか、少し老いているような感じもする。
「…ショウヘイ?」
俺の名を呼ぶ。
相手は俺を知っているようだった。
しかし、俺はこの人のことを知らない。
それよりも、俺はマルチの事が気になった。
「マルチは?」
「…やっぱり、ショウヘイなのね?」
「マルチはどこに?」
「…ショウヘイ!」
不意に、この女性は俺に抱きついてきた。
久々に感じた人の温もり。あまいシャンプーの香り。
三十路後半にも思えるが、しかし二十歳半ばくらいにも思える。
なんとも不思議な感覚だった。
「…ちょ、ちょっと待ってくれっ」
肩を掴み、女性を引き剥がす。
「俺は貴方が誰か知らない。それより、マルチを見なかったか? メイドロボの、マルチを」
「ショウヘイ」
重苦しい声が聞こえてきた。
「…父さん」
おそるおそる振り返る。
案の定、父さんが入口からこちらを見つめていた。
「母さんに向かって、その言い草はないだろう」
○
「…つまり、この人は、俺の母さんなのか?」
リビングに腰掛け、俺はそう言葉を返した。
事情を説明すると言って、父さんは俺とこの女性をリビングへと招いたのだ。
メイドが人数分のコーヒーを持ってきたが、父さんはいらないといい、そして部屋に入って来ぬようにと釘を打った。
それから語られる事実は、俺を驚かせるには充分過ぎた。
家を出ていた母さんは、実は三日も前にこの家に戻ってきていたらしい。
そして、戻ってきたことを俺に言い出す機会を伺っていたそうだ。
そんないびつな状態が続き、しかし今日、俺の部屋で偶然鉢合わせになったのだ。
「…ごめんなさいね、今まであなたをひとりにして…」
そう呟き、涙をこぼす母さん。
俺は感慨深い目で母さんを見つめた。
「…ひとりじゃ、なかったよ」
「……?」
「…マルチがいてくれたから」
意味が分からないと言った表情の母さんに、父さんがマルチの事を説明する。
「子どもの頃から、俺はマルチに頼りっぱなしだったから。…そうやって、何とかここまでやってこれたんだ」
思い起こせば、俺がまだ子どもだったころ。
俺の母さんの代わりはマルチであり、そして俺の姉さんとしても、俺の友達としてもマルチはそこにいてくれた。
「…だから、大丈夫だったよ」
「…そう」
母さんが言葉を無くし、俯く。
「…マルチさんって、もしかしてショウヘイの部屋にいたあのメイドさんの事?」
「…マルチに逢ったの?」
「…あの人がロボットだったなんて…」
驚きを隠せないといった感じで、母さんが呟く。
「…マルチさんから、いろんな話を聞いたわ。ショウヘイの、今まであったこと全部…」
聞く所によれば、母さんは俺が学校へ行っている時に、ふと部屋を見たくなって中に入ったらしい。
するとそこに、ベッドメイクをしているマルチと出くわしたそうだ。
それから、母さんはマルチがいわゆる俺と一番仲の良いメイドだと思い、普通に会話を交わした。
そして、いろんな事を訊ねる、自分がいない間俺に何か変わったことはなかったかとか、そして今まで何があったかなど。
それからマルチには席を外してもらい、母さんが俺の布団の整理をしていたところに、俺が帰ってきた、と言うことだった。
「マルチさんには、今までとてもお世話になったわね…」
母さんの口から出たそのセリフに、どこか違和感をおぼえる。
「これからは母さんがいるから、もう安心していいわよ。今まで本当に、あなたを放ったらかしてごめ――」
「ちょ、ちょっと待って」
俺は話の途中に割って入った。
「『今まで』ってどういう事? それに『これからは』って――」
そこまで一辺に喋って、はっと気が付く。
まだマルチを見ていない。
「母さん、マルチはどこに行ったの?」
その問い掛けに、母さんは俯き、視線を宙に漂わせる。
「…父さん」
俺は視線を母さんから父さんに移し、問い掛ける。
すると、父さんは冷たく言い放った。
「マルチなら、棄てておいた。実は今日、母さんをお前に合わせる予定だったからな」
「…そんな…」
「もう、母さんの代わりはいらないだろう。彼女には充分働いてもらった。人間で言う『お暇を出した』と言う所だ」
「……」
俺は立ち上がり、駆けながら部屋のノブに手をかけた。
「ショウヘイ、どこに行くんだ!」
後ろから、父さんの怒声が耳に飛び込んでくる。
「…マルチを、連れ戻しに行く」
「ショウヘイ、マルチはロボットだぞ!? お前が何を考えていたかくらい知っている。だからこそ、私はマルチを棄てたのだ!」
「……」
「目を覚ませ! 母さんは帰ってきた。もう母さんの代わりはいらないはずだ!」
「俺の…」
ノブを押し開き、そして振り返る。
「俺の…俺の母さんはマルチだ!」
父さんが目を見開いた。
母さんが信じられないといった表情で俺を見つめ、そして泣き崩れた。
「…くそっ」
俺はそこから逃げるようにして、部屋を後にした。
その足で、家の離れにある焼却所へと向かう。
幸い、父さんはそれ以上何も言わなかった。
メイドの横を通り過ぎる度に、何事かと目を丸くする。
俺はそれを尻目に、ただ焼却所を目指した。
「マルチ、どこだ! 返事をしてくれ!」
そう叫びながら、ゴミの山を手で掻き探る。
おかしい。今日の朝のゴミならこの辺りにあるはずなのだが見当たらない。
「…焼却炉!?」
この家のゴミは全て焼却炉で焼かれ、それから排出する手筈になっている。
俺は隅に設置された焼却炉に駆け寄り、扉といっても過言ではないほどの大きさの窓を開いた。
幸い、火は焚かれていない。俺は潜りこむようにして焼却炉に入り込み、周囲を見回した。
「…マルチ!?」
ゴミに埋もれるようにして、マルチが顔を覗かせていた。
「…ショウヘイさん」
「マルチ、大丈夫か! しっかりしろ!」
窓から這い出して、マルチに駆け寄る。
そして周りに積もったゴミを掻き分けた。
「私は、もう必要ないのではなかったのですか…?」
「…俺には、マルチが必要なんだ」
「…はい」
マルチが涙を流したように見えたのは、俺の気のせいだろうか。
腰の辺りまでゴミを掻き分け、俺はマルチの両脇に手をかけて一気に引き摺りだした。
「…大丈夫か?」
「…各パーツに異常はありません」
「そうか…立てるか?」
「はい」
マルチに付いてくるように言い、焼却炉を後にする。
そして俺は車の整備をしていた運転手を無理やり運転席にねじ込んで、車を出させた。
場所は、電車の駅。
○
「ありがとう、ここでいい」
「しかし…」
「ここに俺たちがいることは内緒にしてほしい」
「……」
「それと…両親に、心配しないでほしいと伝えてくれ」
「…かしこまりました」
ドアが閉められ、車が遠ざかっていく。
「ショウヘイさん…」
「別荘へ逃げ込もう。父さんには言っていないから、しばらくは見つからないだろう」
「……」
「マルチ…」
俺はマルチの肩に手を回し、抱き寄せた。
「やっと、やっと気付いたんだ。俺はマルチを母親として見ていない、そして、恋愛の対象として見ていたことに」
「……」
「近過ぎて、今まで見えなかった。だけど、離れる時になって分かった」
「……」
「…マルチ、愛してる。本当だ」
果たして、マルチに『愛』という概念があるかどうかは分からない。
しかし、一緒に来てくれるかという問い掛けに、マルチは頷いてくれた。
俺と一緒にいることを望んだのだ。
○
…俺は、間違っているのかもしれない。
父さんを捨て、母さんを捨て、俺はマルチと一緒にいることを選んだ。
世間から見れば、俺はひどくバカなことしているのだろう。
しかし、誰が何と言おうと、俺はマルチが好きだ。
「…マルチ」
「なんですか、ショウヘイさん?」
俺の隣に腰掛けていたマルチが、顔を覗き込んでくる。
「…今日の料理、美味しいな」
「…ありがとうございます」
少しだけ、微笑んでくれたような気がした。
End.
Written by 山本 学
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